投稿者: mf76

  • 「もっとワクワクしろ」とブランディングチームに言われた話

    「もっとワクワクしろ」とブランディングチームに言われた話

    私のブランディングをサポートしてくれているチームがいる。

    しおりさんを中心に、複数のプロフェッショナルで構成された、私の発信を客観的に見てフィードバックをくれる人たち。

    そのチームから、ある日「もっとワクワクしろ」と総意で言われた。

    今日はその話と、私がそこから何を学んだかを書く。

    思想的に深い発信ばかりしていた時期

    それまでの私は、結構思想的に深い発信をしていた。

    「人は本音を取り戻すべき」
    「学校教育で正解探しを刷り込まれている」
    「夢を予定にするには認知の書き換えが必要」

    こういう、ちょっと固めの内容が中心だった。
    書いている本人は楽しかったけど、見ている人にとっては「ちょっと重い」だったのかもしれない。

    ブランディングチームの総意「ワクワクしろ」

    ある日のミーティングで、チームから言われた。

    「とにかくワクワクしている発信の方がいい」
    「思想は伝わるけど、もうちょっと面白く」
    「リールは思いというより、面白さで魅せて」

    最初聞いた時、私はちょっと戸惑った。

    「え、ちゃんとした内容が大事なんじゃないの?」
    「ふざけてる発信って、それでいいの?」

    でも、チーム全員の総意だった。
    だから、私はそれを受け取って、考え直してみた。

    私の発信、確かに「正解探し」だった

    考え直してみて、気づいたことがある。

    私自身が、発信において「正解探し」をしていた。

    「これが正しい考え方です」
    「こうあるべきです」
    「これが本当の自分軸です」

    そういう「正解を提示する」スタンスが、私の発信の根底にあった。

    これは、「ちゃんとした人と思われたい」という擬態の続きだった。

    擬態を脱ぐと言いながら、発信ではまだ「ちゃんとしてる」を演じていた。

    ワクワクは、本音そのもの

    「ワクワクしろ」って言われて、私はまず「ワクワクって何だっけ」を考え直した。

    ワクワクは、頭で考えて作るものじゃない。
    「これ面白そう!」
    「これやってみたい!」
    「これ笑える!」
    っていう、瞬間的な反応のこと。

    ワクワクって、本音そのものなんだよね。

    私が「本音を取り戻そう」って言っておきながら、自分の発信では本音を抑えて「正解」を選んでいた。

    これに気づいた時、ちょっと笑った。

    ワクワク全開で発信したら、何が起きたか

    そこから、私は発信のスタンスを変えた。

    リールは「面白さ」を最優先にした。
    思想ゼロでいいから、自分が「これ撮りたい!」と思った瞬間を出す。

    ストーリーズは「私のまま」のテンションでいいことにした。
    ちょっとドジでも、雑でも、面白ければOK。

    フィードは思想を語っていいけど、入り口は問いや軽さにした。

    そしたら、反応が変わった。
    保存数、コメント数、DM、全部上がった。

    「思想で勝負」をやめて「ワクワクで勝負」にしたら、思想もちゃんと伝わるようになった。

    「ワクワク」は、ブランドの最上位軸になった

    その経験を経て、私のブランドの最上位軸は「ワクワク」になった。

    何かを発信する前、私は自分に問う。
    「これ、私、ワクワクしてるか?」

    YESなら出す。
    NOなら作り直す。

    思想や深い言語化は、ワクワクが先にある前提で、ストック型のコンテンツでだけ展開する。

    これだけで、発信の伝わり方が変わった。

    「ちゃんとした自分」を演じるのは、もう、やめた

    「もっとワクワクしろ」と言われた経験は、私にとってとても大きかった。

    私は今でも、自分がイエティだと思っている。
    人間社会に擬態している、けむくじゃらの雪男。

    でも、最近の発信では、イエティを隠さない方向にシフトしている。

    ふざけたい時はふざける。
    笑いたい時は笑う。
    怒りたい時は怒る。

    「ちゃんとした自分」を演じるのは、もう、やめた。

    そっちの方が、私も楽しいし、見ている人にも届くらしい。

    ありがたい総意だった。


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  • タワマン?何それ?だった私が、タワマンに住むまで

    タワマン?何それ?だった私が、タワマンに住むまで

    私、千葉のベッドタウン育ちで、
    「タワマン」って言葉、ガチで知らなかった。

    街で高いビルを見ても、「会社かな?」くらいの認識😂
    六本木とか武蔵小杉とか言われても、「ふーん、遠い街の話ね」って感じ。

    人ってね、
    “知らないもの”を、勝手に視界から消してるんだよね。

    脳って、自分に関係ないって判断した情報を、ちゃんとスルーするようにできてる。
    だから当時の私の世界に、タワマンは「存在してなかった」。
    映ってても、見えてなかったの。

    知らないって、最強の“白紙”

    これ、ネガティブな話に聞こえるかもだけど、逆。

    当時の私には、
    「気取ってる」とか
    「上下階で格差がある」とか
    「エレベーター渋滞がやばい」とか、
    そういうマイナスイメージも1ミリもなかった。

    良いも悪いもない、完全な「白紙」。

    世間の「タワマンってこうでしょ」っていう先入観を、1つも持ってなかったってこと。
    これ、地味にめちゃくちゃ強いの。

    だって、何かを始める時に一番じゃまするのって、
    「やったことないから不安」じゃなくて、
    「なんか知ってる気がする」っていう中途半端な思い込みだったりするから。

    地図が書き換わった瞬間

    そんな私が変わったきっかけは、今の夫との出会い。

    夫はね、タワマンや綺麗な建物が昔から大好きな人。
    一緒に過ごすうちに、その視点がスッと私の中に流れ込んできた。
    白紙だったから、何の抵抗もなく。

    で、夫の趣味で新築タワマンの内見に行った時。
    「何これ!めっちゃいいじゃん!!」ってなったのね😂

    あの、頭の中の地図が書き換わった瞬間って、今でもなんとなく覚えてる。
    「別世界」だったはずの場所が、急に「ここ、いいな」に変わったの。

    世界線が変わると、情報が向こうから飛んでくる

    おもしろいのはここから。

    一回「いいな」って思った途端、世界線が変わる。
    脳のフィルターが切り替わって、今度はタワマンの情報が、向こうから飛んでくるの。

    街を歩けばタワマンが目に入る。
    SNSでも物件情報が引っかかる。
    昨日まで見えてなかったものが、急にそこら中にある。

    これ、心当たりない?
    妊娠した瞬間、街中のベビーカーが急に目に入るようになる。
    気になる車があると、同じ車種ばっかり見かけるようになる。
    あれと、まったく一緒。

    世の中のモノが増えたわけじゃない。
    あなたの脳のフィルターが、「それ、大事」に切り替わっただけ。
    タワマンも、行きたい国も、起業も、ぜんぶこの仕組みの中にある。

    そうなると、私はとにかく速い。
    見学を予約して、情報を集めて、
    今では考えられないくらい良い条件の部屋に出会った。

    そして大家さんに、熱いメールを送った。
    「ここに住みたいです」って、気持ちごと。
    だって「ここに住む」が、もう私の中で決定事項だったからね。

    で、無事に?住んだ。

    あんなに“無かった”はずの世界に、
    気づけば、私は暮らしていたのです。

    これ、特別な才能じゃないよ

    私の願望実現力、自分でもけっこうすごいと思ってる。
    でもね、これ、特別な才能じゃないのよ。

    順番はいつもおなじ。

    心の「盲点」が外れて、「あ、これアリかも」に変わる。
    そしたら願いが明確になって、情報が集まって、するする動ける。

    逆に言うと、動けない時って「才能がない」んじゃない。
    1段目の“盲点”が、まだ外れてないだけ。
    見えてないものには、誰だって手を伸ばせないからね。

    じゃあ、その盲点ってどう外すの?

    答えはシンプル。
    「その世界に、ちょっとだけ触れにいく」こと。

    すでにそこにいる人の話を聞く。
    実際に足を運んでみる。
    住んでる人のSNSをのぞく。
    値段を調べる。資料を取り寄せる。

    頭の中で「無理かな」って考え続けるより、
    1回、現物に触れたほうが100倍はやい。

    触れた瞬間、「別世界」が「あ、これ選べるんだ」に変わるから。
    私が内見で「めっちゃいいじゃん!」ってなったの、まさにこれ。

    あなたにも“まだ知らないけど好きな世界”がある

    タワマンも、海外移住も、起業も、おなじ構造。
    今はただ、あなたの視界から消えてるだけ。

    あなたにも、
    “まだ知らないけど大好きになる世界”が、絶対にある。
    出会ってないだけで。

    その盲点を、一緒に外しにいく。
    見えた瞬間から、人はびっくりするくらい速く動けるよ。

    「別世界」なんて、最初からどこにもなかった。
    あなたが今いる世界の、ちょっと先にあるだけ


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  • 自称・不思議ちゃんが嫌いだった私が気づいた、嫉妬の正体

    自称・不思議ちゃんが嫌いだった私が気づいた、嫉妬の正体

    今日はちょっとこじらせてる話を聞いてほしい。

    私、昔から「自称・不思議ちゃん」とか「自称・天然」の子が、苦手で嫌いだった。笑

    だってさ、その子たちの話を聞いていても、私の方が明らかに変な考え方をしている自覚があったから。

    「あなたは天然って言うけど、私の方がよっぽど突拍子もないこと言ってる側ですよ」と、いつも心の中でツッコんでいた。

    ちなみに私のセルフイメージはイエティ

    私のセルフイメージは、けむくじゃらの雪男、イエティ。

    街中を歩いていても、自分は「人間社会に紛れ込んだイエティ」だと思って生きていた。

    人間は美しくて尊い存在だから、ちょっと触っただけで怪我させてしまうかもしれない。だから、できるだけ抑えて、人間っぽく振る舞わないといけない。

    そう思って、ずっと擬態してきた。

    こじらせポイントは「思われたくなかった」

    ここがこじらせポイントなんだけど、私は「不思議ちゃん」とか「天然」って思われたくなかった。

    「ちゃんとした、普通の人」のふりをずっと擬態してきた。

    イエティだとバレないように、人間社会のルールにできるだけ合わせる。
    本音を出さない。突拍子もない発想は飲み込む。
    礼儀正しく、空気を読んで、ちゃんとした人として振る舞う。

    そうやって生きてきた。

    嫌いだったの、嫉妬だった

    最近やっと気づいたんだけど、自称・不思議ちゃんが嫌いだったの、あれ、嫉妬だったわ。

    私が頑張って隠していたものを、あの子たちは平気で出していたから。

    「ちょっと変わってる私」を、堂々と看板にしている。
    「天然です」を、自己紹介に入れている。

    私からすれば、私の方が変なのに、なんで自分から開示できるんだろう、って。

    その羨ましさが、嫌悪感に変換されていたんだろうな、と今は思う。

    擬態を脱いだら、案外こわくなかった

    最近の私は、擬態をちょっとずつ脱いでいる。

    変な考えや突拍子もない発想を、隠さずに出してみる。
    SNSでも、人前でも、「私、これ思いました」って言ってみる。

    そしたらね、驚くほど生きやすくなった。

    しかも、そっちの私の方が人に求められたりするんだよね。

    「普通」の枠から一回出てみたら、案外こわくなかった。

    同類は、ちょいちょいいる

    そして、街を歩いていると「同類だろうな〜」って思う人もちょいちょい見かける。

    擬態している人。
    フェアリーみたいな人もいるし、カワウソみたいな人もいる。

    その人たちにも、できれば早く「素の姿」を出してほしいなと思う。

    素の姿で出ている人の方が、断然輝いているしね。

    人間ってそんなに脆くない。突拍子もない私を出しても、きっと大丈夫。
    今のところ、誰も傷ついていない。


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  • 「時間は未来から過去に流れる」苫米地モデルの威力

    「時間は未来から過去に流れる」苫米地モデルの威力

    時間について、私たちが信じている当たり前のモデルがある。

    時間は、過去から未来に流れている。
    過去の私が積み上げたものが、今の私を作っていて、その今の私が、未来を作る。

    ほとんどの人が、これを疑わない。
    私もずっと、これを疑ったことがなかった。

    でも、認知科学者の苫米地英人さんは、違うモデルを提示している。
    「時間は、未来から過去に流れる」と。

    このモデルを知ってから、私の人生は本当に変わった。
    今日はその話を書く。

    「時間は過去→未来」モデルの罠

    時間が過去から未来に流れていると信じると、何が起きるか。

    私たちは、過去に縛られる。

    「これまで失敗したから、これからもできない」
    「親はそういう人じゃなかったから、私もできない」
    「私の経験では、こうだから、未来もこう」

    過去の事実が、未来を制限する。
    これが「過去→未来」モデルの罠。

    過去の延長線上にしか、未来は存在しない。
    だから、突然違う未来に行こうとしても、過去が引っ張る。
    本人もどこかで「私には無理だ」と知っている。

    苫米地モデル「時間は未来→過去へ」

    苫米地さんは、時間が逆だと言う。

    未来から、現在を通って、過去に流れていく。

    未来の自分が、まずあって、その未来の自分から見て今の自分があって、今の自分が見てきた経験が「過去」として蓄積される。

    未来が先にあって、過去は後付け。

    このモデルが、最初は理解しにくい。
    「え、未来ってこれからじゃないの?」って思う。

    でも、認知科学的に見ると、人間の脳はこっちのモデルで動いている。

    「未来の私」が「今の私」を引っ張る

    苫米地モデルでは、未来の自分が「ゴール」として先にある。

    そのゴールから逆算して、今の自分が動く。

    例えば「2年後、海外で子育てしている自分」がゴールだとする。
    そのゴールが先にあると、今の自分は自然にそこに向かって動く。

    英会話を始める。
    海外移住の情報を調べる。
    家族と話し合う。

    これらは「やる気を出して」やってるんじゃない。
    未来の自分が、今の自分を引っ張っているから、自然に動いている。

    RASが開くという現象

    苫米地モデルが効くのは、認知科学的にRAS(網様体賦活系)が関係している。

    RASは、無意識の情報フィルター。
    人間は、目に入る全部の情報を意識的に処理できない。
    だから、脳が勝手に「これは重要」「これは無視」を判断している。

    未来のゴールを設定すると、RASがそのゴールに関連する情報を優先して拾うようになる。

    「2年後にマレーシア移住」と決めると、なぜか急にマレーシア関係の情報が目に入るようになる。
    偶然じゃない。
    RASが開いた結果、今まで見えなかった情報が見えるようになっただけ。

    これが「未来→過去」モデルの実用的な威力。

    私の人生がこのモデルで動き出した

    私は、このモデルを知ってから、生活の中で意識的に使ってきた。

    「2年後、私はこうなっている」を先に決める。
    そしたら、今の私は自然にそこに向かって動き出す。

    「来月、家族で〇〇に行く」を先に決める。
    そしたら、必要な準備が自然に進む。

    「3年後、私の本を出している」を先に決める。
    そしたら、毎日少しずつ書く時間が生まれる。

    このやり方で、私の毎日は本当に変わった。
    「やる気」とか「根性」とか、そういうものに頼らなくなった。
    未来が先にあるから、今が自然に動く、それだけ。

    ゴールは「現状の外側」に設定する

    苫米地さんが繰り返し言うのは、ゴールは「現状の外側」に設定すべきということ。

    「今の延長線上で頑張れば届くゴール」だと、未来は今を引っ張らない。
    それは「過去→未来」モデルでも同じ結果になる。

    「えっ、本気で無理かも…」って一瞬不安になるくらいのゴール。
    それを設定して初めて、「未来→過去」モデルが本当に機能する。

    私の場合だと「タワマンに住む」「毎月家族で海外旅行する」「20カ国行く」とかは、全部最初は「無理」だと思っていた。

    でも、それを先に設定したから、今の私がそこに引っ張られて、結果として届いた。

    あなたの未来は、何ですか

    このモデルを使うために、必要なのはひとつ。

    「未来の自分」を、できるだけ鮮明に描くこと。

    あいまいな「いい感じの未来」じゃなくて、具体的な「2年後の私はこう生きてる」を、画像にして頭に焼き付けること。

    そのために、私は撮影を使っている。
    未来の自分の姿を、物理的に写真に残す。
    それを毎日見ることで、脳に「私はそっち側」と覚えさせる。

    これは魔法じゃない。
    認知科学に裏打ちされた、シンプルな仕組み。

    時間は、未来から過去に流れている。

    未来の自分が先にあれば、今の自分は自然に動く。
    あとは、未来を先に決めるだけ。

    あなたの未来は、何ですか?


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