「自分探しの旅」がズレている理由

「自分探しの旅」がズレている理由

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「自分探しの旅に出ます」

このフレーズ、何度聞いても私は引っかかる。
「探す」って、なんか違くない?って、毎回思う。

今日は、その違和感が何なのかを、整理してみる。

「自分」は、探しても出てこない

そもそも「自分」って、どこかに隠れている宝物みたいなものじゃない。

冷蔵庫の奥に置き忘れているわけでも、海の底に沈んでいるわけでもない。
インドの聖地にもないし、アフリカのサバンナにもない。

「自分」は、過去のあなたが選んできた選択の積み重ねで出来上がっている。

朝、コーヒーを飲むのか紅茶を飲むのか。
好きと思った人に告白するのか黙るのか。
新卒で大企業に行くのか、独立するのか。

そういう選択の集合体が「自分」。

だから、海外を放浪しても、ヨガ合宿に行っても、「探す」アクションでは出てこない。

本当にしたいのは、選び直すこと

「自分探し」って言葉を使う人が、本当にしたいのは、選び直しじゃないかと思う。

今までの選択の延長線上に、納得感が持てなくなった。
だから、今までと違う選択をしてみたい。

それは「探す」じゃなくて「選び直す」。

苫米地英人さんの認知科学の話を借りると、人間は「自分が見たことのある自分にしかなれない」らしい。
だから、今までの自分の延長線上から少しでも外れたいなら、見たことのない自分を見せてあげる必要がある。

それが、旅の役割なのかもしれない。

旅は「探す装置」じゃなく「選び直し装置」

私は毎月のように家族で旅をしている。

旅先で何かを「探す」つもりはない。
ただ、日常の自分から少し離れた場所に身体を置く。

そうすると、何かが見えてくる。

日本でずっと「やるべき」と思っていたことが、急にどうでもよくなる。
何年も「やりたい」と言いながら手をつけられなかったことが、突然「これは今やる」になる。

これは「自分を探した」結果じゃなくて、「選び直した」結果。

海外じゃなくてもいい

「選び直し」のための装置は、海外じゃなくてもいい。

近所のカフェでもいい。
日帰り温泉でもいい。
コンビニで普段と違うお菓子を買うだけでもいい。

役割が一旦剥がれる場所に行けば、それで装置は機能する。

「ママ」「妻」「会社員」「長女」というラベルを、ちょっと預けてくる時間。
そこで初めて、選び直しは起きる。

「自分探し」じゃなくて「選び直し」

だから私は「自分探し」じゃなくて「選び直し」って言葉を使いたい。

探しても出てこないけど、選び直すことなら今日からできる。

朝のコーヒーを、いつもと違う淹れ方で。
着る服を、ちょっと派手なやつに。
今日「やる」って決めていたことを、思い切ってやめてみる。

その小さな選び直しの集合体が、明日のあなたを作る。

「自分探し」は、ちょっと立ち止まって、選び直しに置き換えてみてほしい。

旅じゃなくても、今日からできるよ。


あわせて、動き出したい方へ


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