自称・不思議ちゃんが嫌いだった私が気づいた、嫉妬の正体

自称・不思議ちゃんが嫌いだった私が気づいた、嫉妬の正体

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今日はちょっとこじらせてる話を聞いてほしい。

私、昔から「自称・不思議ちゃん」とか「自称・天然」の子が、苦手で嫌いだった。笑

だってさ、その子たちの話を聞いていても、私の方が明らかに変な考え方をしている自覚があったから。

「あなたは天然って言うけど、私の方がよっぽど突拍子もないこと言ってる側ですよ」と、いつも心の中でツッコんでいた。

ちなみに私のセルフイメージはイエティ

私のセルフイメージは、けむくじゃらの雪男、イエティ。

街中を歩いていても、自分は「人間社会に紛れ込んだイエティ」だと思って生きていた。

人間は美しくて尊い存在だから、ちょっと触っただけで怪我させてしまうかもしれない。だから、できるだけ抑えて、人間っぽく振る舞わないといけない。

そう思って、ずっと擬態してきた。

こじらせポイントは「思われたくなかった」

ここがこじらせポイントなんだけど、私は「不思議ちゃん」とか「天然」って思われたくなかった。

「ちゃんとした、普通の人」のふりをずっと擬態してきた。

イエティだとバレないように、人間社会のルールにできるだけ合わせる。
本音を出さない。突拍子もない発想は飲み込む。
礼儀正しく、空気を読んで、ちゃんとした人として振る舞う。

そうやって生きてきた。

嫌いだったの、嫉妬だった

最近やっと気づいたんだけど、自称・不思議ちゃんが嫌いだったの、あれ、嫉妬だったわ。

私が頑張って隠していたものを、あの子たちは平気で出していたから。

「ちょっと変わってる私」を、堂々と看板にしている。
「天然です」を、自己紹介に入れている。

私からすれば、私の方が変なのに、なんで自分から開示できるんだろう、って。

その羨ましさが、嫌悪感に変換されていたんだろうな、と今は思う。

擬態を脱いだら、案外こわくなかった

最近の私は、擬態をちょっとずつ脱いでいる。

変な考えや突拍子もない発想を、隠さずに出してみる。
SNSでも、人前でも、「私、これ思いました」って言ってみる。

そしたらね、驚くほど生きやすくなった。

しかも、そっちの私の方が人に求められたりするんだよね。

「普通」の枠から一回出てみたら、案外こわくなかった。

同類は、ちょいちょいいる

そして、街を歩いていると「同類だろうな〜」って思う人もちょいちょい見かける。

擬態している人。
フェアリーみたいな人もいるし、カワウソみたいな人もいる。

その人たちにも、できれば早く「素の姿」を出してほしいなと思う。

素の姿で出ている人の方が、断然輝いているしね。

人間ってそんなに脆くない。突拍子もない私を出しても、きっと大丈夫。
今のところ、誰も傷ついていない。


あわせて、動き出したい方へ


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